小柴昌俊先生を偲ぶ会を開催 弟子たちが思い出を語る

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 カミオカンデ計画を推進してニュートリノ天文学を開拓し、2002年ノーベル物理学賞を受賞するとともに、多くの研究者を育てた東京大学特別栄誉教授、小柴昌俊先生が亡くなってから一周忌を迎えるのを受け、東京大学の関係者が主催する「小柴昌俊先生を偲ぶ会」が2021年11月7日、東京大学本郷キャンパスの理学部1号館「小柴ホール」で開催されました。追悼講演では、お弟子さんたちが、小柴先生の生前の活躍と功績、さらにそのお人柄について語り合いました。COVID-19の感染拡大防止のため会場は関係者だけでしたが、偲ぶ会のようすはYouTubeで生中継され、最大365人が同時視聴しました。

壇上の祭壇に飾られた小柴昌俊先生の遺影

 偲ぶ会の実行委員会(委員長、五神真・前総長)は、理学系研究科・理学部、素粒子物理国際研究センター、宇宙線研究所によって組織され、浅井祥仁センター長・教授が中心となって準備を進めてきました。また、当日の司会は国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構の横山広美教授が務めました。

 詳細は以下の東京大学のWebサイトへ。

 尚、偲ぶ会で披露された梶田隆章所長の弔辞の全文は以下の通りです。

 小柴昌俊先生にお世話になった教え子の一人として、謹んでお別れのご挨拶を申し上げます。

 小柴先生がお亡くなりになり早1年が過ぎようとしています。私が先生に最後にお会いしたのは2019年12月1日のクォーク会という小柴研究室の同窓会の時になります。皆に囲まれて、小柴先生の穏やかでうれしそうな表情がいまでも忘れられません。

 私たちは今でも小柴先生の大学院学生のつもりでおりますが、小柴先生は日頃から私たちに、常に研究の卵を2つや3つ温めておきなさい、そしてその卵がかえって、実際に研究を始める時期を常に考えていなさいと言っていました。また、我々の研究は、国民の血税でやらせてもらっているんだ、1円たりとも無駄にするな、とも言っていました。小柴先生のもとで多くの大学院学生がこれらの言葉を心にとめて研究者となって小柴研究室を巣立っていきました。

 私が大学院学生の頃、カミオカンデの実験が始まりました。カミオカンデの当初の目的は陽子の崩壊の探索でした。当時はデータ解析のソフトウエアも今ほど発展しておらず、毎日100例くらいの数のイベントを見て、陽子崩壊やニュートリノ反応の候補を選び出す必要がありました。このとき、小柴先生は、毎朝出勤してきて最初に行う仕事が神岡から送られてきたデータを1例、1例見て確認するという作業でした。これを東京大学を1987年3月に定年退職するまで5年近く続けられました。私たち大学院学生は、小柴先生のこの姿を見て、研究に対する執念といいましょうか、本当にひたむきな姿を学んできました。

 小柴先生の教えは小柴先生の大学院生であった私たちの身に沁みついていることはもちろんですが、それに続く若い研究者たちにもしっかり受け継がれていることを私は信じています。みなが先生のことを尊敬し、憧れであり、先生のようになりたいと考えていたのだと思います。

 こうして偲ぶ会を開催することで、あらためてもう先生のお姿を拝見することはできないのかという思い、言葉では言い表せない気持ちになります。私だけでなく、先生に教わった教え子全員が、共通の思いでいるはずです。これからもずっと、小柴先生はいつまでも私達の恩師です。

 小柴先生、厳しくも親身なご指導と、たくさんの温かい思い出をありがとうございました。偲ぶ会の開催にあたりまして、先生のすべての教え子や関係者の皆様とともに、あらためて先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

令和3年11月7日
東京大学宇宙線研究所長 梶田隆章