偏極陽子衝突における超前方中性パイ中間子の左右非対称生成、ってなんだ?

6月22日に Physical Review Letter誌に”Transverse single-spin asymmetry for very forward neutral pion production in polarized p + p collisions at √s = 510 GeV"という論文を発表しました。各研究機関のウェブページにも紹介されています。(内容は同じです。)

宇宙線研:http://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/news/9031/

理化学研究所:https://www.riken.jp/press/2020/20200623_1/index.html

米国ブルックヘブン研究所:https://www.bnl.gov/newsroom/news.php?a=117099


名古屋大学のRHICf実験のページ: http://crportal.isee.nagoya-u.ac.jp/RHICf/


論文の内容は上記のリリースをご覧いただくとして、どんな実験をしたのでしょう?宇宙線とどんな関係にあるのか(ないのか)、も含めて実験の背景を長めに説明します。

 

高エネルギーの宇宙線はその到来頻度が低いため、やってきた粒子を直接観測するにはとてつもなく大きな検出器が必要になります。どれくらい大きいか?例えば1000平方キロメートル、琵琶湖の面積よりも大きな装置が必要です。それは無理なので、「空気シャワー」とよばれる現象を利用して宇宙線を観測します。地球の大気分子に衝突した高エネルギーの宇宙線は大量の粒子を生成します。子供の粒子たちも高いエネルギーをもつので、さらに衝突をくりかえして…、地上に大量の粒子群が降り注ぎます。これが空気シャワーです。空気シャワーは、元のエネルギーによりますが、数100mから数㎞にわたってひろがるので、地上にまばらに置いた放射線検出器で観測することができます。また、空気シャワー中の粒子が放出する光(蛍光やチェレンコフ光)をとらえることでも観測が可能です。例えば、テレスコープアレイ実験は地上検出器と蛍光検出器を両方使っています。(図はチベット空気シャワー観測装置の写真と空気シャワーの模式図。)


 

しかし、われわれが測定しているのは宇宙線と地球大気がぶつかってでてきた「破片」であり、宇宙線

そのものではありません。そこで、この衝突の連鎖をシミュレーションで計算し、入射した宇宙線の特性(エネルギーや粒子の種類)と地上で観測される破片の関係を決めて、宇宙線の特性を推定します。ということは、シミュレーションが正確にできていないと推定を誤ってしまうわけです。シミュレーションの中でもっとも難しいのが「ハドロン反応」です。

 

ハドロンとは、素粒子クオークがグルーオンによって結合された複合粒子で、陽子と中性子がその代表選手です。その他に、今回の話の主役であるパイ中間子等、たくさんの種類があります。宇宙線の主成分は陽子や原子核(陽子と中性子の集合体)であり、地球の大気も原子核の集合なので、宇宙線と地球大気の反応はハドロン反応だらけなのです。ハドロンを構成する素粒子は非常に強い力で結合していますが、衝突時にはこれらの結合がちぎれたり、つなぎかわったりして大量の粒子を生成します。この複雑な過程を理論的に計算することが非常に難しいのです。特に、衝突時に前方に放出される粒子は、クオークやグルーオンの固まりとしての反応が重要なので、その計算が一層困難です。前方の粒子は親粒子のエネルギーをたくさんもっているため、空気シャワーの全体構造を決めるためにも重要です。

 

理論研究者たちは、この複雑な計算をうまく扱う手段をみつけてきました。どううまくか?かは難しくて私もちゃんと理解できないので省略。なぜ「うまく」と言えるのか、それは、実験と比較することです。加速器実験では、様々な種類のハドロンをエネルギーを正確にコントロールして衝突させ、その生成物を測定できます。これらをちゃんと説明できる理論(この場合は経験則もふくむのでモデルとよぶ)がいい理論です。しかし、宇宙線の研究の場合は、加速器で実現するよりもさらに高いエネルギーを扱うので、その理論が本当に適用できるか、が問題になります。それでも、できるだけ高いエネルギーの加速器で検証を続ける必要あります。

 

LHCf実験は世界最高エネルギーのハドロン衝突型加速器、Large Hadron Colliderを用いて、ハドロン衝突における超前方粒子生成を測定する実験です。LHCが作る粒子の最大エネルギーは7TeV(7x10^12 eV)で、空気シャワー観測が対象とする10^14 eVから 10^20 eVには全然届きません。しかし、LHCは「衝突型」加速器です。7TeVの陽子と7TeVの陽子を正面衝突させたとき、片方の陽子からみた相手のエネルギーは10^17 eVにも達します(特殊相対性理論の演習問題としてためしてみて)。宇宙線と地球大気の衝突は、片方が止まった系なので、「衝突のエネルギー」はこれで比較すべきなのです。10^20 eVの最高エネルギー宇宙線とはいかないけれど、空気シャワー観測の対象エネルギーの(対数で)ど真ん中を調べられるわけです。LHCf実験はLHCですでに多くの成果をあげています。

LHCf実験ホームページ:http://www.isee.nagoya-u.ac.jp/LHCf/index.html



さて、やっとRHICfのこと。

 

LHCfの測定が軌道にのりはじめたたころ、「RHICでも同じような測定ができるよ」との情報をもらう。RHICは Relativistic Heavy Ion Colliderで、アメリカのブルックヘブン研究所にあるハドロン衝突型加速器です。最高の加速エネルギーは255GeV、宇宙線のエネルギーにすれば 10^14 eV。初めは「あえてLHCより低いエネルギーで実験する必要はないでしょう」と考えていたが、RHICfと LHCfで空気シャワー観測の下のエネルギーと中間のエネルギーで粒子生成を理解できれば、その上への外挿の信頼度もあがるはず、と詳しい検討をはじめることに。下の図はLHCfで測定した中性パイ中間子の微分生成断面積。色の違いが衝突エネルギーの違いを現すが、エネルギーの最大を1に規格化し、横方向運動量の範囲をそろえると、結果はきれいに一致します。スケーリングとよばれるこのような一致(あるいは不一致のエネルギー依存性)をより広い衝突エネルギーで検証することが重要です

RHICは「エネルギーの低いLHC」ではありません。RHICは偏極ビーム衝突という世界で唯一の特長をもった加速器です。陽子や原子核などの粒子にはスピンと呼ばれる特性があります。偏極ビームとは、このスピンの向きをそろえた粒子ビームのことです。そして、このスピンの向きに対して右と左に生成される粒子の数が違うのが非対称粒子生成です(下図)。非対称粒子粒子生成は1970年代から知られていました。その起源はハドロンを構成するクオークやグルーオンのスピン分布を反映しているのだろうと思われてきました。これは、個々のクオークやグルーオンの特徴を示さなくなる前方粒子では非対称性がなくなることを予言します。一方、RHICで実験がすすむにつれて、前方粒子にも非対称性があることがわかってきました。「もっと前、ゼロ度直前ではどうなっているの?」という期待が高まっていました。

 

宇宙線のためのスケーリングと超前方での非対称粒子生成を測定するために、RHICf (f は forwardの意味)を開始しました。RHIC PHENIX実験で活躍していた理化学研究所の研究者たちと協力し、LHCfの二台の検出器のうちの一台をアメリカに送り、実験場所に設置できるよう改造を加えて実験に臨みました。手作り感満載の現場の写真をごらんあれ。中央左より、ハンドル付きパイプで上下に動かせるように設置されているのがRHICf検出器です。


実験は当初メンバーが所属するPHENIX実験の片隅でおこなうつもりでした。しかし、PHENIXのアップグレード作業とわれわれの希望のビーム運転の都合があわず、急遽STAR実験サイトに変更。これらの急なお願いに対して、PHENIX, STAR実験グループ、加速器グループ、RHIC科学委員の皆様から全面的なサポートを得ることができました。感謝の限りです。

 

さて、こうして突貫作業で準備をすすめ、2017年6月に無事データ取得に成功しました。無事?実は、我々のデータ取得は3日程度でよかったので、この年の加速器運転のほぼ最後に組み込まれました。ところが、「さぁ、我々の番だ」となったとたんに加速器が絶不調。数日ほとんどビームがでない状況が続く。がっくりしながら近所の中華料理屋に行くと、フォーチュンクッキーが ”Right now you need to be patiant”と。予言通り(?)、時間切れぎりぎりでやっと安定した衝突が実現。少しだけ運転時間も延長してもらい、無事データ収集を終了。

 

ひとつだけ、測定結果(下図)を。最大を1に規格化した横軸がエネルギー、縦軸が中性パイ中間子の左右非対称度です。例えば、左に55個、右に45個が生成されると、(55-45)/(55+45)=0.1 となるような値です。色の違いが測定角度の違いで、黒は過去のそこそこ前方の結果、マゼンタ赤青緑が今回のRHICfの結果です。比較的角度の小さいマゼンタは過去の結果とよく一致しています。それでも、過去の測定よりもはるかに前方を測定しているので、こんな角度まで非対称が見えたことが一番の大発見です。個々のクオークのレベルでは説明のできないメカニズムがあるはずです。一方で、緑の点は非対称はゼロといえます。これは当然で、ほぼゼロ度の角度では右も左もありませんからね。北極点で東か西かを議論するようなものです。逆に言えば、実験装置や解析による間違った非対称はできていない証拠になります。ゼロ非対称と大きな非対称の間も角度に応じて順に変化しており、この事実を説明できる理論の構築に期待がかかります。

宇宙線空気シャワーの理解のために始めた前方測定でしたが、違う方向の成果となりました。この結果が直接空気シャワー研究に影響することはありませんが、陽子陽子衝突という基本的な反応ですら、前方粒子生成が理解できていないことが改めてわかりました。スピン非対称測定は、その難しい反応の素過程をさらに詳しく調べることで、ハドロン反応の理解を深めます。複雑な反応のキーワードは「回折散乱 diffractive dissociation」。LHCでも、RHICでも、同じ衝突を測定する ATLAS, STAR実験との共同解析が始まっており、さまざまな面から前方粒子生成をより詳しく研究する活動が続きます。

 


2020年06月24日