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研究所のご紹介
沿革
年表
組織・運営
教職員数・
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経費
施設
 ・柏キャンパス
 ・神岡研究施設
 ・乗鞍観測所
 ・明野観測所
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計算機委員会
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宿泊施設
共同利用研究・
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成果発表と受賞歴
研究概要


沿革


東京大学宇宙線研究所は、
宇宙線の観測と研究とを様々な角度から行っている研究所です。


前身は、昭和25年に朝日学術奨励金によって建てられた乗鞍岳の朝日小屋です。これが昭和28年に東京大学宇宙線観測所となりました。この観測所は我が国初の全国共同利用研究機関でした。
宇宙線研究所外観写真
東京大学宇宙線研究所 外観写真
昭和31年には IGY(国際地球観測年)の世界規模の観測に参加し、早くも国際的活動が始まりました。この年に空気シャワーの観測を始め、33年にはエマルションチェンバーによる観測を始めました。その後しばらくの間、これらの観測装置による地道な観測が続けられました。

昭和47年になると、新たにミュートロン(電磁石スペクトロメータ)の建設が始まり、実験設備が整って行きました。昭和48年には、学術振興会の事業であった2つの国際研究が研究所の事業として吸収されました。一つはインド・コラー金鉱の深地下実験で、もう一つはボリビヤ・チャカルタヤ山の高山実験です。昭和50年にはミュートロンが完成し、続いて明野観測所の建設も始まりました。

昭和51年に、東京大学宇宙線観測所は東京大学宇宙線研究所となりました。ここには、昭和31年から同じような研究をしていた東京大学原子核研究所宇宙線部の3部門が吸収され、全部で 6部門1施設の研究所として再出発しました。昭和52年には明野観測所が正式に第二の附属施設となり、昭和54年には明野の1平方km空気シャワー装置と富士山のエマルション・チェンバーができ、昭和56年にはエマルション・チェンバーによる日中共同研究が始まりました。昭和58年には共同実験として神岡の陽子崩壊実験が始まり、一次宇宙線研究設備もできました。

昭和60年代になると大きな実験結果が出始め、実験設備の拡充もさらに行われるようになりました。昭和62年には神岡で、世界で初めて超新星からのニュートリノをとらえました。同じ年に明野では、100平方km広域シャワー観測装置の建設がはじまりました。昭和63年には神岡で太陽ニュートリノ欠損を観測し、平成元年には乗鞍で太陽フレアーに伴う宇宙中性子線の大幅な増大を観測しました。平成 2年に明野の広域シャワー観測装置が完成し、平成3年にスーパーカミオカンデの建設が始まりました。平成4年には共同実験のオーストラリアで、南半球では世界で初めて超高エネルギーガンマ線を観測しました。同じ年に、研究所に新たに重力波の観測グループが加わりました。平成 5年には、チベットでエアシャワーガンマ線実験装置の建設が始まりました。平成 6年には明野で、理論上あり得ないと思われていた最高エネルギーの大シャワーを観測し、神岡では、大気ニュートリノの異常を観測しました。平成 7年には神岡が第三の附属施設として新たに出発し、神岡宇宙素粒子研究施設となりました。平成 8年にはスーパーカミオカンデが完成して本格観測が始まり、平成10年には2年間の観測結果として、ニュートリノに質量があると発表しました。

平成11年度から、ニュートリノの質量をさらに詳しく調べるために、高エネルギー加速器研究機構からスーパーカミオカンデに向けて人工ニュートリノを発射して調べる実験も始まります。宇宙ニュートリノの観測情報を融合して新たなニュートリノ研究の道を開くための、宇宙ニュートリノ観測情報融合センターも出発します。さらに、オーストラリアの超高エネルギーガンマ線観測を大幅に充実させるための科学研究費COE拠点研究も認められました。


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