Jocelyn Bell Burnell (ジョスリン・ベル・バーネル)

10年間に渡り公開大学(オープン・ユニバーシィーティー)で物理学教授を務め、 このうちの1年間は米国プリンストン大学で特別客員教授として過ごし、2001年より英国バース大学の理学部長となる。

バーネル教授の経歴は、北アイルランドの検定試験(11才で実施される)に失敗したことから始まる。しかし特別合格ラインに十分な 「A−レベル」 及び「O−レベル」 を取得後、スコットランドのグラスゴー大学で物理学を学び修士号を、そしてケンブリッジ大学で電波天文学の博士号を取得。この間、バーネル教授は天体物理学の新しい分野の幕開けとなったパルサーの発見に寄与する。バーネル教授の指導教官のノーベル賞受賞によって、バーネル女史の功績が認識される。

夫の仕事の関係で英国各地を転々とする。1980年代前半にスコットランドに戻ってエジンバラにある王立天文台で赤外線天文学研究に従事するまでは、サザンプトン大学(ガンマ線天文学)、ロンドン大学(X線天文学)で勤務。後年には王立天文台の管理職に就く。英国・カナダ・オランダの大学の天文学者が利用する研究施設として知られるハワイのジェームズ・クラーク・マックスウェル望遠鏡の運営管理にも携わる。これらの殆どの時期は育児のためパートタイマーとして勤務。リサーチ・カウンシル(研究会議)や欧州委員会においても委員会議長として重要な役割を果たす。公開大学の評議委員や王立天文学協会の会長も務める。

高層気球に取り付けられた望遠鏡や衛星に搭載された望遠鏡などを利用し研究に取り組む。またケンブリッジ州に設置されている電波望遠鏡の建設にも参加。標高14,000フィート(約4,270メートル)のハワイの山頂で、英国製の赤外線望遠鏡やミリ波帯望遠鏡を覗いているバーネル女史の姿が見られたこともある。

オッペンハイマー賞、マイケルソン・メダル、ティンズレー賞、マジェラン・プレミアムが米国の学術団体から授与され、英国の王立天文学協会はハーシェル・メダルを贈呈している。英米の大学からは名誉博士号が授与されている。またバーネル女史の出身校であるケンブリッジ大学のニューホールの特別名誉会員でもある。1999年には大英勲章(CBE)を贈られ、同年、社会や科学の発展への貢献に対してエジンバラ・メダルが贈られている。2003年より英国王立協会のフェロー(FRS)となる。

「社会における科学の認識と理解を深める」というテーマはバーネル教授にとって大変重要な課題であり、講師やテレビ・ラジオのキャスターとしても活躍している。1999年にはオーストラリア各地を訪問し、「物理学と女性」をテーマに講演を行っている。エジンバラ国際科学フェスティバルの企画にも参画し成功に導いている。

バーネル教授が公開大学で教鞭をとるようになってから、英国における女性の物理学教授の数が倍増している。バーネル教授は科学の分野において豊かな経験を有する先輩として、より多くの女性が科学の分野で活躍してほしいと願っている。

余暇は、ウォーキング、ガーデニング、水泳、裁縫、編み物、合唱音楽鑑賞などで過ごす。また宗教・社会活動(クウェーカー教)も活発に行っている。