<<<<<<<<<<<<<< CRC News 2022年7月13日 >>>>>>>>>>>>>> CRC会員 各位 CRC事務局 ************************<訃報:藤本陽一氏>************************ 藤本陽一先生(元早稲田大学理工学術総合研究所)が、2022年7月3日にお亡くなり になりました。(満96歳) 先生は、東京大学理学部物理学科を卒業され、研究を続けられました。当時は、早川(幸)、 山口(嘉) らと共同で、素粒子及び宇宙線物理学(当時は、この二分野は未分化だった) を研究 されました。その中から、原子核の蒸発理論(山口(嘉) と共著)、核子の励起状態(3‐3 resonance) の解明(宮沢(弘) と共著)、などが生まれた。その後、British Council の奨学金 を得て、C. Powell (英、Bristol 大学) の下に留学されemulsion(原子核乾板) の技術を学ば れた。 帰国後は、新設された原子核研究所(東京田無)の宇宙線部門エマルション部(メンバーは、 先生、西村(純)、丹生、長谷川(俊)) を中心に国内の諸大学との共同研究で、高山にemulsion chamber を設置する実験を始められた。目的は、高エネルギー宇宙線粒子(主に、電磁成分 (e, γ)) を観測して、素粒子相互作用(粒子多重発生)の研究を行うことであった。実験は、 当初は乗鞍岳(2700m) で行われ、その結果を踏まえて、南米アンデス山中のChacaltaya 山 (5200m, ボリビア) で行われた。後者の実験は、ブラジルの諸大学(C.M.G. Lattes が代表者) との共同研究である。(先生は、この間に早稲田大学理工学研究所に移られた。) これらの実験の結果は、Prog. Theor. Phys. Suppl. No.32(1964), No.47(1971), No.54(1973), No.76(1983), Handb. der Phys. Vol.LVI1/2(1967), Phys. Rep. Vol.65 No.3(1980)にある。 いずれも、先生が中心になって纏められたものである。 先生は、坂田昌一、武谷三男の考え方に、共感されていた(と思う、直接的にそのことを口に されることはなかったが)。乗鞍岳の実験では、高エネルギーγ 線のスペクトルに見られた折れ 曲がりをパイオンとは異なる新しい階層の出現と考える、また、Chacaltaya 山の実験では、 特異事例(センタウロ) を核子の多重発生と考える、などを提案された。(但し、前者は事例の 統計が上がると消えてしまった。後者は、その後の再解析でデータの処理の一部に問題がある ことが、実験参加者から指摘されてれている。) 一方、emulsion chamber による粒子多重発生 の直接観測(C-jets) のデータから、Feynman のスケーリング則の破れ(これは、当該則の大合 唱の中での指摘だった)、large p_T (transverse momentum) の存在、< p_T > - (rapidity density) の相関、などが結論された。(これらはすべて、その後の加速器実験で確認されている。) 先生 は、これらのデータを三種類の質量の異なる火の玉(H, SH, UH) を導入して記述することを 提案された。これらは、素粒子の坂田モデル、武谷の三段階論を強く意識したものであろう。 先生は、原発反対訴訟の原告側証人を務められ、また、このCRC の設立に尽力された一人 である。また、民主的な考えの持ち主で、身分や年齢の上下などには拘られなかった。我々 学生(私は早稲田大学で6年間指導を受けた) は、研究室では批判を含めて遠慮なく自由に発 言していた(特に、物理の話題では)。先生はシャイ(或いは、関西(京都?) 文化的) な方で、自 分の考えをそのまま口にされることは殆ど無かった。また、我々の間では、私事や家族のこ とを話題にすることは余りなかった。(これは武谷先生譲りかも知れない。) 先生は、ジョー クもお好きだった(大分長くなったので引用は止めておく)。 心からご冥福をお祈りします。 2022年7月10日 大澤 昭則(敬称を略しましたことをお許しください。)